「IDOBATA!」-夫の家事- 開催レポート
2015年4月26日(日)、28日(火)に、「IDOBATA!」を開催しました。今回のテーマは「夫の家事」。面白いキーワードやなるほど納得の解決策など出てきたので、2日分のエッセンスをご紹介したいと思います。
テーマ設定のため、宿題はこのページの動画を見てくること、としました。
「妻の家事ハラ白書 | ヘーベルハウス」
(※「家事ハラ」という表現は誤用なので、この動画のシチュエーションを「家事ハラ」と呼び広めること自体は推奨しませんし同意できません。それについては別の記事で改めて。→5/17追記:記事公開しました。「家事ハラ」問題とは何だったのか? 《前編》ー言葉の誤用と視点のまずさ/ 《後編》ー牧歌的な解決策と風刺の失敗)
この動画を見て感じたこと、もしくは、「夫の家事」について感じていることを、参加者のみなさんひとりずつにお話ししてもらい、そこから焦点をしぼりながら話を深めていきました。
夫の実態
育休中の方、専業主婦の方、仕事をしながらの方、立場や制約はそれぞれ。でも、やっぱり家事の比重が妻側にきているのは、みなさん共通する現実でした。
もともと家事の比重が妻の側にあったケースもあれば、『子どもを産む前は、ふたりでやれるほうがやる感じだったのに、育休で自分が家にいるようになった途端、一気に比重がきた』というケースも。『ここから、仕事再開時に家事を再分配するのがなかなか難しい』との声になるほど……。
一旦「家事を全部やってもらえて仕事にだけ集中できる」状況ができたら、それを享受したくなるの当然といえば当然。男女問わず、そりゃぁ自分の代わりに家事を全部してくれる人がいたら楽で幸せです。
夫に「最後の砦」感覚がないのがイライラ!
なんで私だけが家事をやらないといけないんだろう……この「フェアじゃない」感覚は、夫婦とも仕事をしていれば、当然強くなります。仕事のバランスが違うと、ある程度仕方ないとは思いつつも、「精神的な重さ」の違いにもどかしさを覚えます。
『他に誰もやる人がいないという「最後の砦」のような感覚を、自分(妻)は持っているけれど、夫の側にはそれが全くない』『家事のベースがいつも自分(妻)で、夫は主体性に欠ける』そんな声には「精神的な負担差」が多くのイライラを生んでいることが現れています。
『夫が何か家事をやっても「ありがとう」というのはくやしい』という声は、「本来私の仕事というわけではないんだけどな……」という気持ちからくるものと言えます。
「フェアじゃない感」がイライラの根っこにある
こんな状況で『イライラがつのっていたけれど、夫が単身赴任になったときに、気持ちがものすごく楽になった』というエピソードがありました。「楽になった」というのは、離れてせいせいするとか、そういう話ではありません。
夫が長期間不在となると、年月単位で自分ひとりで全てをまわすしかない。「あなたも同等にすべきでしょ」と思う対象が一緒にいない状態。そうすると、なんで私だけ!という「フェアじゃない感」が消えて、仮に物理的には大変になっても、むしろ精神的には楽になる、という現象です。
視界に入るとアンフェア感は不思議と強まります。『仕事で疲れていて週末休みたいのは100%理解していても、週末昼まで寝ている夫のその気楽さがどうしても……』という声もありました。
夫が一緒にいない方がいい解決になる、ということではありません。ただ、この妻のイライラの根っこにあるのは、そういう精神的な負担差を目の当たりにするからだ、ということをここでは指摘したいと思います。
気持ちの折り合いをつけるには
このフェアじゃない現実に、気持ちの上で折り合いをつけるのはどうしたらよいでしょう。自分の使う言葉を選ぶ、というひとつのアイディアがありました。
『自分もどこか「やってもらう」と思っていて「(やらせて)ごめんね」という言葉が出そうになるけれど、その代わり「助かった」と言うようにしている』。言葉遣いによっては自らフェアでないことを認めているようなもの、これを避けるだけで気持ちが変わってくる部分がありそうです。
それから、物理的にフェアにするために、『平日は極力家事をやらずに週末に夫婦で一緒にやる』というアイディア。例えば掃除などは毎日しなくても生活は止まりません。一緒にできる日に「せーの」でやる、というのは確かに納得です。
夫も家事をやる状況の作り方
『「察して欲しい」をあきらめて言葉にするようにした』という声。これは、精神的なアンフェア感はあきらめて我慢して、夫も家事をやることで安定を図る方法といえます。指示書並に書くかどうかは別として、言葉にする、明文化する、という方法はありそうです。
『期待しないことにした』『小さくあきらめる』との声も。これらは、夫を「見限った」というような文脈ではありません。期待値を下げたり、「自分流のやり方」をあきらめることで、互いの快適さをアップする工夫をしているのだと感じました。
「自分流のやり方」を押し通さないっていうのは、双方が対等に家事をするには確かに重要なポイントです。でも、自分主導で家事をしているとこれは簡単そうでなかなか難しい、どこか「我慢」している感覚が残ってしまいます。
それをまるごと解決できそうなアイディアが出てきました。
完全任命制という「丸ごと」のいいところ
あるひとつの業務を全て最初から最後まで完全に任せる、というものです。洗濯ならたたむところだけ、干すところだけ、という細分化された部分を担当するのではなく、全体。そのかわり全て夫のやり方を尊重し、口出ししない。
『在庫管理を一手に任せている』というのがそのご夫婦のケースでした。『日用品から塩・砂糖といった常備系の食品まで、在庫が切れないように、チェック・購入・補充まで一貫して夫が担当している』とのこと。プロ意識は高く、完璧に管理が行き届いているそうです。その代わり、テリトリー意識を尊重して勝手に手出しはなし。
これは面白い。自分中心で家事をまわすと、「部分」を「お願い」してしまうせいで、「口出し」しがちです。自分(妻)が夫主導の家事に手出しをして「余計なことしないで」と言われる経験はなかなかありません。
こういう完全分業のシチュエーションを作るのは、お互いにとって、「精神的にイーブンに家事をする」という感覚を養うにはとてもよさそうです。
頭で「あぁ、自分のやり方を押し付けちゃいけないな」と道徳的に思ってもイライラは意外と消えません。夫が始めから最後までやるのが当たり前の家事がひとつでもできると、「当たり前すぎて感謝しない」とか「違うやり方をして怒られる」とか、逆の立場も経験できます。お互いに快適な距離感を見つける鍵になるかもしれません。
「やさしさは有限」!
子どもにはこんなやり方でお手伝いのモチベーションをキープしている、という素敵なアイディアも。しかし、これを夫にやるというのは相手は大人だしやっぱり精神的にフェアでないところに立ってしまう……そして何より夫に対してその気持ちの余裕は残っているか……『やさしさは有限』という一言が出て、一同大笑い。
和やかなムードの中、狩野からいくつかのデータやポイントになりそうな視点を整理をして会を終えました。提示したデータやポイント、今回書ききれなかったことは、また別の記事でご紹介したいと思います。
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